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こんな人に読んでほしい

「元気そうですね」と言われるたびに、笑って返しながら少ししんどくなる人に読んでほしいです。悪気がないのは分かっている。でも、その一言で自分の困りごとが薄く見られたように感じてしまう。そんな気持ちを抱えている人へ向けて書いています。

はじめに

「元気そうですね」と言われることがあります。たしかに、見た目だけならそう見えるのかもしれません。顔色が極端に悪いわけでもないし、普通に歩いているようにも見える。話もできる。笑うこともある。

でも、その言葉を聞いた瞬間、私は少しだけ困ります。どう返すのが正解なんやろう、と考えてしまうからです。「はい、元気です」と言えば嘘になる気がする。「実はしんどいんです」と言えば、場の空気を重くしてしまう気がする。結局、へらっと笑って「まあ、ぼちぼちです」と返す。便利な言葉です、ぼちぼち。便利すぎて、たまに自分でも何を隠したのか分からなくなります。

本文

見た目では分からない

体のしんどさや心の疲れは、外から見えるものばかりではありません。特に「見た目は普通」に見える状態だと、周りの人は安心します。安心してくれるのはありがたい。でも、その安心の中で、こちらのしんどさが置いていかれることがあります。

人前に出るとき、私はそれなりに整えます。髪を直し、服を着替え、声を出し、なるべく普通に見えるようにする。それは見栄というより、社会の中でやっていくための最低限の準備みたいなものです。けれど、その準備がうまくいくほど、困っていることは見えにくくなる。なんとも皮肉な話です。

「元気そう」と言われるのは、相手から見た私の一部です。その一部は間違っていないのかもしれません。でも全部ではありません。そこを分かってもらうのは、なかなか難しいです。

実際には困っている

元気そうに見える日でも、実際には朝から体を起こすだけで時間がかかっていることがあります。外に出る前に、今日はどこまで動けるかを頭の中で何度も確認していることもあります。

人と会って話している間は気を張れます。気を張っているからこそ、普通に見える。でも帰ったあと、どっと疲れが出る。電池が切れたみたいに動けなくなることもあります。さっきまで話せていた自分と、今の自分の差に、自分でも苦笑いするしかない日があります。

それでも「元気そう」と言われると、説明しない自分が悪いのかなと思ってしまう。けれど、毎回説明するのもしんどい。何をどこまで話せば伝わるのか分からないし、話したところで相手を困らせるかもしれない。そう考えているうちに、また「大丈夫です」と言ってしまうんです。

私が思うこと

たぶん「元気そうですね」と言う人の多くは、悪気なんてありません。むしろ気を遣ってくれている場合もあります。だから、その言葉自体を責めたいわけではないんです。

ただ、もし少しだけ言い方を変えられるなら、「今日は調子どうですか」と聞いてもらえると助かることがあります。元気かどうかを決めつけられるより、自分の状態を自分の言葉で答えられるからです。

私自身も、誰かに対して同じことをしているかもしれません。見た目だけで「大丈夫そう」と思ってしまうことは、きっとあります。だからこそ、この話は誰かを責めるためではなく、少し立ち止まるために書いておきたいと思いました。

おわりに

元気そうに見えることと、元気であることは同じではありません。笑っていることと、困っていないことも同じではありません。

もし「元気そうですね」が少しつらい日があっても、それはわがままではないと思います。説明できない日があってもいい。笑って流す日があってもいい。ほんまはしんどいんやけどな、と心の中でつぶやく日があってもいい。

少しずつでいいので、見た目だけでは分からないことがあると伝わっていけばいいなと思っています。