見えない障害「高次脳機能障害」とは

脳の損傷によって、記憶・注意・行動・社会生活に影響が出る後遺症

「高次脳機能障害」という言葉を聞いたことがあっても、具体的にどのような障害なのかを説明できる人は、まだ多くありません。

見た目には元気そうに見える。普通に会話もできる。歩けるし、笑うこともできる。
それなのに、本人の頭の中では、記憶が抜ける、集中が続かない、予定を組み立てられない、感情を抑えにくい、人の顔や場所が分かりにくい、言葉が出にくいといった困りごとが起きていることがあります。

高次脳機能障害とは、病気や事故によって脳が損傷したあとに、記憶、注意、遂行機能、社会的行動、言語、認知、感情調整などに障害が残り、日常生活や社会生活に支障が出る状態をいいます。

ここで大切なのは、これは「気の持ちよう」でも「性格の問題」でもないということです。
脳の損傷によって、情報を受け取り、整理し、判断し、行動に移す仕組みがうまく働きにくくなっている状態です。


高次脳機能とは何か

人間の脳は、単に手足を動かしたり、目で見たり、音を聞いたりするだけではありません。見たものを意味として理解する。聞いた言葉を記憶する。予定を立てる。順番を考える。相手の表情を読み取る。場面に合わせて行動を調整する。感情を抑える。こうした複雑な働きをまとめて「高次脳機能」と呼びます。

つまり、高次脳機能とは、人が社会の中で生活するための高度な脳の働きです。

たとえば、朝起きて病院へ行くという行動だけでも、実際には多くの高次脳機能が関わっています。

何時に起きるかを覚えている。
診察時間に間に合うように準備する。
持ち物を確認する。
道順を考える。
混雑や予定変更に対応する。
受付で必要なことを説明する。
医師の話を聞いて理解する。
帰宅後に薬の飲み方を覚えておく。

健康なときには当たり前にできていたことでも、脳の損傷後には一つひとつが難しくなることがあります。


原因になる病気や事故

高次脳機能障害は、脳に何らかの器質的な損傷が起きたあとに生じます。代表的な原因には、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血などの脳血管障害、交通事故や転倒などによる外傷性脳損傷、脳炎、低酸素脳症、脳腫瘍の治療後などがあります。

日本では、高次脳機能障害というと交通事故後の若い人を思い浮かべる人もいますが、実際には脳卒中後に生じるケースも非常に重要です。高齢化が進む日本では、脳血管障害を原因とする高次脳機能障害も大きな課題です。

脳のどの部分が損傷したかによって症状は異なります。
前頭葉が関わると、計画、判断、感情のコントロール、行動の抑制が難しくなりやすいです。側頭葉や海馬が関わると、記憶の障害が目立ちます。頭頂葉や右半球の注意ネットワークが関わると、空間の見落としや注意の偏りが起こることがあります。左半球の言語ネットワークが関わると、失語などの言語症状が出ることもあります。

また、外傷性脳損傷では、画像で見える一か所の損傷だけでなく、脳の白質と呼ばれる神経の連絡路が広く傷つくことがあります。これにより、処理速度が落ちる、疲れやすい、同時に複数のことができない、状況判断が遅れるといった症状が出ることがあります。

高次脳機能障害は、単に「脳の一部が壊れた」というより、脳のネットワーク全体の連携が乱れる障害として理解する必要があります。


代表的な症状

高次脳機能障害の症状は一人ひとり違います。ここでは代表的なものを整理します。

記憶障害

新しいことを覚えにくくなる症状です。物を置いた場所を忘れる。同じことを何度も聞く。予定を忘れる。人と約束したことを覚えていない。説明された内容が残らない。こうしたことが起こります。

本人は「聞いていない」と感じていても、周囲から見ると「さっき説明したのに」と見えることがあります。これが誤解や衝突の原因になります。

記憶障害では、本人の努力だけで何とかしようとすると限界があります。メモ、スマホのアラーム、カレンダー、チェックリスト、物の固定場所など、忘れても生活が回る仕組みを作ることが重要です。

注意障害

集中を続ける、必要な情報に意識を向ける、複数の情報を同時に扱うことが難しくなる症状です。

ぼんやりする。ミスが増える。話を聞いている途中で抜ける。作業が長く続かない。二つのことを同時にすると混乱する。周囲の音や人の動きに気を取られやすい。こうした形で現れます。

注意障害があると、本人は一生懸命やっているのに、周囲からは「集中していない」「やる気がない」と見られがちです。しかし実際には、脳が情報を選び、保ち、切り替える力が低下していることがあります。

遂行機能障害

遂行機能とは、目的に向かって計画を立て、手順を考え、実行し、途中で修正する力です。これが障害されると、何から始めればよいか分からない、段取りが組めない、優先順位がつけられない、予定どおりに動けない、途中で問題が起きると対応できないといった困りごとが出ます。

たとえば、料理、買い物、仕事、書類手続き、通院準備などは、すべて遂行機能を使います。本人に知識や能力がないわけではなく、頭の中で手順を組み立てて実行する部分がうまく働きにくくなっているのです。

社会的行動障害

社会的行動障害では、感情や行動のコントロールが難しくなります。怒りっぽくなる、思ったことをすぐ口にしてしまう、場に合わない発言をする、こだわりが強くなる、意欲が低下する、無気力になる、相手の気持ちを読み取りにくくなるなどの症状が出ることがあります。

家族からは「性格が変わった」と表現されることもあります。
しかし、これも本人の人格そのものが悪くなったという単純な話ではありません。前頭葉を中心とした脳の制御機能がうまく働きにくくなり、感情や行動のブレーキ、場面判断、将来を見越した判断が難しくなっている場合があります。

失語・失行・失認

高次脳機能障害は、記憶や注意だけではありません。学術的には、失語、失行、失認も重要な高次脳機能障害に含まれます。

失語は、言葉を話す、理解する、読む、書くといった機能に障害が出る状態です。
失行は、麻痺がないのに、道具の使い方や慣れた動作がうまくできなくなる状態です。
失認は、目や耳などの感覚器官には大きな問題がないのに、見たものや聞いたものの意味を認識しにくくなる状態です。

たとえば、物は見えているのにそれが何か分からない、人の顔が分かりにくい、道具の使い方が分からないといった症状が起こることがあります。


「見た目は普通」に見えることが最大の誤解を生む

高次脳機能障害が理解されにくい大きな理由は、外見から分かりにくいことです。

手足の麻痺が軽い、言葉もある程度話せる、表情も自然に見える。そうすると周囲は「もう治った」「普通にできるはず」と思ってしまいます。

しかし、本人の中では、記憶が抜ける、注意が散る、疲れやすい、情報処理が遅い、予定変更に弱い、感情が乱れやすいといった困難が残っていることがあります。

しかも高次脳機能障害では、本人自身が自分の障害に気づきにくい場合もあります。これを障害認識の低下といいます。本人が「大丈夫」と言っていても、実際の生活ではミスやトラブルが起きていることがあります。

そのため、高次脳機能障害の評価では、本人の訴えだけでなく、家族、職場、支援者から見た生活上の困りごとを確認することが重要です。


診断は一つの検査だけでは決まらない

高次脳機能障害の診断では、病気や事故によって脳に損傷が起きた事実、現在の症状、日常生活や社会生活への影響、画像検査や診断書などの医学的根拠、ほかの病気との鑑別を総合して判断します。

神経心理学的検査も重要です。記憶、注意、遂行機能、言語、視空間認知などを調べる検査があります。ただし、検査の点数だけで生活の困難を完全に説明できるわけではありません。

検査室ではできても、実生活ではできないことがあります。
静かな部屋で一対一なら集中できても、職場や家庭のように音、会話、予定変更、対人関係が重なる場面では混乱することがあります。

だからこそ、高次脳機能障害では「検査結果」と「生活場面で何が起きているか」を結びつけて考える必要があります。


治療とリハビリは「元に戻す」だけではない

高次脳機能障害のリハビリでは、損なわれた機能を訓練することも大切ですが、それだけでは不十分です。重要なのは、本人が現実の生活の中で困りごとを減らし、できることを増やすことです。

記憶障害がある人には、覚える訓練だけでなく、忘れても困らない仕組みを作ることが必要です。
注意障害がある人には、作業時間を短く区切る、刺激の少ない環境を作る、休憩を予定に入れることが役立ちます。
遂行機能障害がある人には、手順書、チェックリスト、予定表、作業の分解、開始のきっかけ作りが必要になります。
社会的行動障害がある人には、怒りや混乱のきっかけを記録し、疲労や刺激を調整し、周囲が対応方法を共有することが重要です。

つまり、リハビリは本人だけが頑張るものではありません。家族、医療者、支援者、職場、地域が、本人の特性を理解し、環境を整えることも治療の一部です。


仕事や社会生活への影響

高次脳機能障害は、仕事に大きく影響します。

出勤時間を間違える。
指示を覚えられない。
同時に複数の業務ができない。
ミスに気づけない。
予定変更に対応できない。
疲労が強く、午後になると急に処理能力が落ちる。
人間関係でトラブルが起きる。

こうした問題は、本人の努力不足ではなく、脳の情報処理や行動調整の障害として起こっている場合があります。

就労支援では、本人の能力を単純に「できる」「できない」で判断するのではなく、どの環境ならできるのか、どの支援があれば続けられるのかを考える必要があります。

たとえば、業務を一つずつ渡す、口頭指示だけでなく紙やデータで残す、作業手順を固定する、休憩を明確にする、急な変更を減らす、定期的に確認する、疲労が強い時間帯を避けるなどの工夫があります。

高次脳機能障害の支援では、「就職すること」だけでなく、「働き続けられること」が重要です。


制度と支援につながることの重要性

高次脳機能障害は、医療だけで完結する問題ではありません。生活、就労、家族関係、経済面、福祉制度が関わります。

日常生活や社会生活に制約がある場合、精神障害者保健福祉手帳の対象となることがあります。身体症状がある場合には身体障害者手帳の対象となることもあります。障害年金、障害福祉サービス、就労移行支援、自立訓練、相談支援、地域障害者職業センターなど、利用できる制度や支援機関もあります。

ただし、制度は自動的につながるものではありません。本人や家族が困っていても、どこに相談すればよいか分からないまま孤立することがあります。

だからこそ、医療機関、自治体の福祉窓口、高次脳機能障害の相談窓口、就労支援機関などにつながることが大切です。


周囲の人に知ってほしいこと

高次脳機能障害のある人に対して、周囲がまず知っておくべきことがあります。

できる日とできない日があります。
見た目だけでは分かりません。
一度聞いただけでは覚えられないことがあります。
急な変更に弱いことがあります。
疲れると症状が強く出ることがあります。
感情が乱れる背景に、脳の障害が関係していることがあります。
本人も自分の変化に戸惑っていることがあります。

大切なのは、「なぜできないのか」を責めることではなく、「どうすればできる形に近づけるか」を一緒に考えることです。

声かけは短く、具体的に。
予定は見える形で。
大事なことは口頭だけでなく文字でも残す。
一度にたくさん頼まない。
疲労を前提に予定を組む。
失敗を責めるより、失敗しにくい仕組みを作る。

こうした小さな工夫が、本人の生活を大きく支えます。


高次脳機能障害は「理解されにくい障害」である

高次脳機能障害の難しさは、症状そのものだけではありません。
理解されにくいこと、誤解されやすいこと、本人が説明しにくいことも大きな困難です。

「元気そうやん」
「普通に見えるけど」
「やる気の問題ちゃうの」
「前はできてたやん」

こうした言葉は、本人を深く傷つけることがあります。

高次脳機能障害は、脳の損傷によって生活の土台が揺らぐ障害です。
記憶、注意、判断、感情、言葉、行動、人間関係。
その人らしく生きるために必要な多くの力に影響します。

だからこそ、必要なのは「かわいそう」と見ることではなく、正しく知ることです。
本人の困りごとを、怠けや性格の問題として片づけないことです。
そして、できない部分だけを見るのではなく、支援や工夫によってできる形を一緒に探すことです。

高次脳機能障害は、見えにくい障害です。
でも、見えにくいからこそ、知ろうとする人が増えることに意味があります。

見た目は普通でも、頭の中では毎日てんやわんや。
その現実を社会が少しずつ理解していくことが、当事者と家族の生きやすさにつながります。