画像説明

人は目だけで見ているわけではない

普段、何気なくしていることのひとつに「見る」という行為があります。

朝起きて時計を見る。

スマホの文字を見る。

道を歩きながら信号を見る。

人の顔を見る。

あまりにも当たり前すぎて、いちいち「今、自分は見ているな」とは思いません。

でも、この「見る」という行為は、実はそんなに単純なものではないんですよね。

目で見たものは、そのままレンズみたいに頭の中に映っているわけではありません。

目から入った情報を、脳が受け取って、整理して、意味をつけて、やっと私たちは「見えた」と感じている。

つまり、人は目だけで見ているんやなくて、脳でも見ているんです。

目で見ているようで、実は脳で見ている

このことを知ると、「視力がいいから見えているはず」とか、「目に異常がないなら大丈夫」という考えだけでは足りないことが、少し見えてきます。

視力がいいから困らない、とは限らない

目の良さを測る時、よく使われるのが視力です。

「1.0あります」
「0.7です」
「メガネをかけたら見えます」

そんなふうに数字で表されます。

もちろん視力は大事です。

でも、視力があるからといって、全部ちゃんと見えているとは限りません。

たとえば、文字は見えているのに内容が頭に入ってこない。

人の顔は見えているのに、誰だったかすぐに分からない。

物は見えているのに、どこにあるのか探すのに時間がかかる。

景色は見えているのに、情報が多すぎてしんどくなる。

こういうことって、外から見たらなかなか分かりません。

「見えてるやん」
「読めるやん」
「そこにあるやん」

そう言われることもあります。

でも本人の中では、見えているはずのものが、うまく整理できなかったり、意味につながらなかったりするんです。

これがしんどいんですよね。

見えているのに、見えていないような感じ。

分かっているのに、分からないような感じ。

そのズレを説明するのは、なかなか難しいものです。

目で見たものは、脳で映像になる

「目で見たものは脳で処理されて映像として見える」

これは、ほんまに大事な言葉やと思います。

私たちは、目がカメラみたいに映していると思いがちです。

でも実際には、目から入った情報を脳が処理して、「これは文字やな」「これは人の顔やな」「これは段差やな」と判断しています。

だから、脳の処理がうまくいかない時、目そのものに問題がなくても困ることがあります。

たとえば、人混みの中で必要なものを見つけるのが苦手になる。

スーパーの商品棚を見るだけで疲れてしまう。

書類の文字が並んでいるだけで頭がいっぱいになる。

信号や看板や人の動きが一度に入ってきて、外出するだけでぐったりする。

こういう困りごとは、見た目には分かりません。

普通に目を開けているし、普通に歩いているように見える。

だから周りからは「何に困ってるん?」と思われることもあります。

でも、本人の中では必死なんです。

見ている情報を処理するだけで、かなりのエネルギーを使っていることがあります。

「ちゃんと見て」と言われても困る時がある

昔の私なら、誰かが何かを見落とした時に、

「ちゃんと見たら分かるやん」

と思っていたかもしれません。

でも、今は少し違います。

ちゃんと見ようとしても、見え方が追いつかないことがある。

目では入っているのに、頭の中で整理できないことがある。

焦れば焦るほど、余計に分からなくなることもある。

これ、本人もつらいんです。

サボっているわけでもない。

適当にしているわけでもない。

注意していないわけでもない。

それでも見落としてしまう。

それでも気づけない。

それでも間違えてしまう。

そんな時に「なんで分からへんの?」と言われると、心が少し沈みます。

自分でも分からないからです。

なんで見落としたんやろう。

なんで気づけなかったんやろう。

なんでこんな簡単なことができへんのやろう。

人から責められる前に、自分で自分を責めていることも多いんです。

見え方の困りごとは説明しにくい

痛みなら「痛い」と言えます。

熱なら体温計で分かります。

でも、見え方の困りごとは説明が難しいです。

「見えてるけど、見えにくい」
「読めるけど、頭に入らない」
「見つけたいのに、探せない」
「情報が多いと疲れる」

こう言っても、なかなか伝わりにくいことがあります。

周りからすると、見た目は普通です。

目も開いている。

会話もできる。

歩くこともできる。

だから余計に、「大丈夫そう」に見えてしまいます。

でも、見た目だけでは分からへんこともあるんです。

外から見える姿と、本人の中で起きていることは、必ずしも同じではありません。

これは視覚だけの話ではなく、見えない障害や高次脳機能障害の困りごとにもつながる話やと思います。

できる時もある。

できない時もある。

昨日できたことが、今日はしんどい時もある。

場所が変わるだけで、急に難しくなることもある。

それを全部うまく説明できたらええんですけど、なかなか言葉にならないんですよね。

まとめ

人は目だけで見ているわけではありません。

目で受け取ったものを、脳が処理して、意味をつけて、やっと「見えている」と感じています。

だから、視力だけでは分からない困りごとがあります。

見えているように見えても、本人の中では必死に情報を整理していることがあります。

何気ない景色。

文字。

人の顔。

音や動きが重なる場所。

普通なら何でもないような場面で、すごく疲れてしまうこともあります。

それは甘えではありません。

気のせいでもありません。

その人の中で、ちゃんと起きている困りごとなんです。

もし周りに、よく見落とす人、探すのに時間がかかる人、人混みや書類で疲れやすい人がいたら、少しだけ思い出してもらえたら嬉しいです。

「見えてるはず」ではなく、

「見えていても大変なことがあるんやな」

それくらいで十分なんです。

そして当事者の方にも伝えたいです。

うまく説明できなくても、しんどさが本物じゃないわけではありません。

あなたが感じている見えにくさや疲れは、ちゃんとそこにあります。

少しずつで大丈夫です。

自分の見え方を知って、自分に合う工夫を見つけていけばいい。

完璧に分かってもらえなくても、ひとりでも「そういうこともあるんやな」と思ってくれる人が増えたら、少しだけ生きやすくなるかもしれません。

見えている世界は、みんな同じようで、実は少しずつ違います。

その違いを責めるんやなくて、少しだけ想像し合える。

そんな社会になったらええなと思います。